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

「当時の歌舞伎は江戸の娯楽の中心だった、そしてそれは文化とトレンドの発信源でもあったんですね」と渋谷・たばこと塩の博物館学芸員、谷田有史さんは語る。
江戸好み、と呼ばれる独特の美意識を発達させた江戸の庶民たち。その美意識の源泉となった歌舞伎が江戸の暮らしやファッション、色彩感覚に与えた影響は大きい。現代にも通じるそのデザイン感覚について聞いてみた。 |
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
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唐突なんですが、イチマツ模様って漢字で書けるでしょうか?
イチマツ模様という言葉は皆さんご存じだと思うのですが、これが歌舞伎の初代佐野川市松からきていることは、あまり知られていないと思います。
もともとは古くから石畳模様としてあったものですが、佐野川市松が「高野山心中」(1741)という芝居で小姓の衣装に使用したことから大評判になり、市松模様として流行したんですね。
当時、この模様の小袖を着ない女性はないほどだったそうです。娯楽があまりないこともあって、その頃の庶民と歌舞伎というのは本当に密接な関係にありました。人気役者やひいきの役者が舞台で用いる衣装や小道具、その役者が日常に用いる器物・持ち物の色・模様なんかを自分の生活に取り込んで楽しんでいたんですね。
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タイルカーペットでの市松模様。
現代でもポピュラーなデザインだ。
(パーホロンタイルカーペット)
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たとえば三代目板東三津五郎が文化12年に「双蝶蝶曲輪日記」で衣装に用いて評判になった三津五郎縞や、やはり三津五郎が衣装につけた花勝見などの意匠を江戸の人々は着物に取り込んでいました。この花勝見を着物に入れて着ている女性の絵が今も残っています。(図参照)また、元禄五年(1692)に刊行された「女重宝記」にも、当時の女性たちが歌舞伎の女形風俗から多くのファッションを学んだことが記されています。
歌舞伎というのは女性たちの流行風俗の発信源だったんですね。 |
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「今世斗計十二時 午ノ刻」三代歌川豊国(国貞)・画 文政頃
たばこと塩の博物館・所蔵)
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「双蝶々曲輪日記 -板東三津五郎-」初代歌川豊国・画 文化11年(1814)
たばこと塩の博物館・所蔵
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「助六」の白酒売(初代)歌川豊国 画(1807)
白酒の桶に「山川」の銘が見える。
演劇博物館・所蔵
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当時の歌舞伎役者は、今でいうスポーツ選手とアイドルを足したような存在でした。その宣伝効果というものは非常に大きかった。役者絵を見るとよくわかります。
たとえば助六劇で、白酒売りの新兵衛と蕎麦屋の担ぎ(出前持ち)が登場します。その役者絵にはさりげなく白酒の桶に「山川」という銘が入れてあるのです。(図参照)
この山川というのは富士山麓吉原本市場の山川酒のことで、富士の白酒の宣伝をしているんですね。台詞にも「そもそも富士の白酒と ・・・」と出てきます。小道具でも蕎麦屋の箱には「二丁町の蕎麦処福山」の名が書かれていて、観客にはそれとわかるようになっている。テレビや映画でスポンサーの商品をさりげなく使うのと同じです。タイアップですね。
さらに役者が、江ノ島でも箱根でもいいのですが、観光地に行く、それを役者絵にして、観光地の宣伝をするというようなこともやっていました。観光振興ポスターですね。それと歌舞伎役者という職業上、彼らはその副業として伽羅油と称する鬢付油や白粉、洗い粉などさまざまな化粧品を売り出したりもしていました。油見世というのですが、いわば江戸のタレントショップです。
寛文十一年(1671)に中村数馬が日本橋宝町に出したのが元祖で、元禄(1688)から安永(1781)にかけては雨後の筍のように役者の油見世が生まれたといいます。今の原宿や清里と同じですね。 |
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山東京傳「手なくいあわせ」天明4年(1784)より
渋谷・「たばこと塩の博物館」所蔵
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
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江戸の意匠というのは、着物だけではなくて、手ぬぐいや浴衣、千代紙などにもすぐれたデザインがあります。当然それらをデザインする人たちもいました。
たとえば山東京傳です。江戸時代の戯作者として有名な人ですが、手ぬぐいの文様などでも粋なものを作ってます。彼が手ぬぐいの意匠をまとめた「手なくいあわせ」という本があります。この中には彼が考案した手ぬぐいの文様がたくさん載っているのですが、非常に諧謔的というか、面白いものが多いです。たとえば「やにさがり」という文様です。(図参照)女性にちやほやされた男性がだらしない顔になる、やにさがる、という言葉は現代にも残っていますが、その語源ですね。文様を見ていたいただくとわかるのですが、女性からちやほやされると顔がアゴの方から浮いてきて、銜えてる煙管が立ち上がる、その煙管からヤニがさがってくるという、そういう状態をいったものなんですね。
ほかにも雨合羽を着て歩いている人をデザインした雨降り小紋や、めくり札を青海波に見立てた「めくりかさね」、しらみを小紋に見立てた「しらみ小紋」などというのもありました。 |
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当時の江戸の情報というものは、現代で考えるよりもずっと速いスピードで全国へ伝わったと思います。
たとえば八代目団十郎が大阪へ行った際に自殺してしまうというスキャンダルが起こるんですが、これなどはすごい速さで江戸へ、それから全国へ広まっています。そこから考えると、さきほど出た花勝見や芝かん縞が女性の着物に取り入れられたのも、けっこう早かったと思います。
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流行の発信地としての遊郭。ファッションなどのトレンドを作り出す江戸文化の中心であった。 |
まあ、そういう流行の発信地が歌舞伎であり、遊郭なんですね。とくに女性の髪型やファッションなんかは遊郭に求められていたというのが多いですから。歌舞伎は男性しかいませんが、女性のスターとしては花魁や、小唄の師匠なんかがいまして、彼女たちも美人画として浮世絵に残っています。美人画に描かれる、というのは、現代風にいえば週刊誌の表紙を飾るような感じですね。 |
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江戸時代の色というと、赤・朱・茶・黄・緑・青・紫・黒・灰(鼠)のおよそ10色ですが、これは中間色も含めて代表させた色であって、本来の日本の伝統色というものは、色と色を掛け合わせた中間色に特徴があるんですね。明暗濃淡など、そのわずかな違いを楽しんでいたんです。
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豊富な中間色をもつ日本の伝統色。同系統の中の微妙な差異にそれぞれ粋な名前を付けて楽しんだ。
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中でも茶色と鼠色はほんとに微妙な色が多くあって、俗に「四十八茶と百ねず」といわれています。とくに江戸後期は染めの技術が高度になり、中間色の細分化が顕著になります。役者考案の色というのもあります。
本当に役者が考案したかは別として、たとえば市川家の柿色、尾上家の茶色なんかですね。これらはそれまでの中間色をさらに微妙に変化させてます。納戸(くすんだ青)や縹(淡い藍)などと、粋で雅な名前をつけたりしていましたね。 |
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江戸時代というのは、じつは一時期考えられていたような暗い時代じゃないんですね。むしろある意味では、制約が強い中で、現代以上に遊び心があったと思います。たとえば廓にただ遊びに行くだけではなくて、そこではある程度の教養や身なりが必要とされたんですね。だから習い事の一つもやろうか、煙草入れひとつにしても有名な店であつらえようかと。
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金唐皮かぶせ付け提げたばこ入れ。袋、紐、根付けとそれぞれに専門職が技術を競う高級品。
渋谷・「たばこと塩の博物館」所蔵
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煙草入れというのは基本的にはオーダーメイドです。袋なら袋、紐は紐、根付けは根付けというように、それぞれの職人さんがいて、袋物屋さんというのを通して作った。だからかなりの高級品で、有名作家のものになると、家一軒分くらいしたそうです。それでも有名作家のものが欲しい人がいたんですね。その頃から日本人はブランドものに弱かったんです。
現代の我々が携帯電話のストラップに凝る。それと同じように、煙草入れの根付けに凝る、刀の鍔に凝る、そういう部分も江戸時代からすでにあって、細部に非常にこだわるというのは日本古来の文化じゃないかと思います。今でも携帯のストラップに凝るのは日本人だけで、欧米人にとってはただのヒモなんですね。
あと江戸時代の初期には、衣装比べといって、どちらが立派なものを着ているか町人の奥さん同士が張り合ったりする。で、それがやりすぎだといってお上に取りつぶされる。すると今度は「底至りの美学」といって、裏地など見えない部分に凝っていくんです。見る人が見るとわかるという、そういう楽しみ方です。今の我々とかなりオーバーラップするところがあると思います。そういう感覚は、もうDNAの段階で刷り込まれてるんじゃないか、と思うくらいに現代とぴったりと合う。
今の我々がやっていることのルーツというのは、じつは昔からやっていたことで、日本人が日本人である部分というのは、現代まで連綿とつながっているんです。
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谷田 有史 (たにだ・ゆうし)
東京都 渋谷・たばこと塩の博物館学芸員
1958年生まれ。主な著書に「図説・浮世絵に見る色と模様」(河出書房新社・刊)等がある。 |
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